【解説】コミュ障を脱却する方法
どうも、学生時代コミュ障陰キャぼっちとして黒歴史を創造し尽くしたNNです。
今回は『コミュ障を脱却する方法』について解説していきます。
結論「聞き手に徹しろ」
これです。
コミュ障を改善したい!コミュ力を上げたい!などを意識する方は、ついついトークスキルだったり話の組み立て方にばかり重きを置きがちですが
間違いです
まぁ確かに大切な要素ですが、前提をできてない人が多いです。
コミュニケーション、つまり会話というのは言葉のキャッチボールです。
相手の言葉を的確に受け取れないとキャッチボールは成り立ちません。
相手の投げたボールを受け取り、“相手が受け取りやすいところに”ボールを投げてあげる
これが会話の基本です。
では、コミュ障の会話を分析していきましょう。
『そもそもコミュ障って?』
コミュ障とは、コミュニケーション障害の略で、
他人とコミュニケーションを取る際に十分な意思疎通をすることが困難になってしまう人のことです。
もっとわかりやすく言うと、
・いざ話そうとするとアガってしまう
・空気が読めない
・言いたいことが伝わらない
などが特徴として挙げられます。
なぜ上記のことがコミュ障に共通してる特徴になっているのか
それはやはり聞き手スキルが不十分だからです。
相手の話をきちんと聞いて、理解する。
しかしそれができない。
だから会話が噛み合わず、自分の話がうまく相手に伝わらない
↓
グループで会話をしているとそれが顕著になるので「空気をよめ」と言われる
↓
そういった経験が積み重なって、いざ人と話す時に緊張してアガってしまう
こうしてコミュ障が輪をかけて強まっていくんです。
『克服しないとぼっち確定コース』
会話をしても続かず、頑張っても空回り。
そして「空気読めよ○ス」という罵詈雑言を吐かれたと思えば知らぬ間にぼっち。
かつてのNNさんはそうでした。
そこで
なぜ自分はコミュニティを安定して築くことができないのか
というのを必死に考えました。
そしてスクールカースト上位の陽キャ連中、なぜかモテてる奴、愛されキャラを観察しまくりました。
すると1つの共通点があったんです。
そう、聞き上手なんです。
>>1 陽キャ連中は、相手の話を聞き、理解して、どんな返答をすれば場が盛り上がるかを考えてます。だから一見変なことを言っても、ちゃんと笑いが生まれるのです。
何も考えず変なことを言っても、かえって場がしらけるだけです。だからコミュ障と言われる。
>>2 なぜかモテる奴は、模範的な聞き上手な場合が多いです。自分の話を最後までしっかり聞いてくれて、尚且つ的確なアドバイスをくれる。モテない訳がないですね。
自分の話をまともに聞いてくれねぇし、しかもズレた返答をしてくる奴。腹立ちません?だからコミュ障と言われる。
>>3 愛されキャラは、コミュニティの中で求められている人物像になりきれる人です。周りがどういったキャラを必要としているか、そして自分にできる演出を正確に理解していないとできない所業です。
生まれ持った才能で愛されるキャラの人もいますが、大半はなるべくしてなったという人たちです。
周りの環境や他人の心理を見抜けるスキルを持っている人は、十中八九、聞き上手です。
どこか抜けてる陽気な奴って、意外と相談とかパンパなく親身になって真面目に聞いてくれてたりするんですよ。
これがNNさんが発見したコミュ障との決定的な違いです。
会話で最も大切なのは聞き手スキルなんです。
この事実に気付く前は
「トークスキルを磨かないと…」
「面白いことを言わないと…」
「もっとバカになりきらないと…」
なんて思ってました。
しかし結果は惨敗。
どれだけ頑張っても
「うるせぇバカ」
というイメージがつけられるだけでした。
(今思い返してるけど普通にひどくね?)
そこで、聞き上手になることが重要だ!と気付いたNNさんは必死で聞き手に徹しました。
するとどうでしょう!
びっくりするくらい楽にコミュニティを築けるじゃあありませんか!
『なぜ聞き手に徹することが重要なのか』
↓
みんな自分の話を聞いて欲しいと思っている。
そもそもですが、人は他人にあまり興味がありません。つまり、相手の話を聞くよりも喋る方が圧倒的に好きなのです。
だから、「会話がすき!」と言っている人も、実際は「喋るのがすき」なのです。
みなさんも、自分の好きなことについてだったら無限に喋れるような気がしますよね?
でも、相手の好きなことを無限に聞くことはできますか?
恐らくみんな無理だと思います。
社交辞令なんかで相手に「なにが好きなんですか?」なんて聞く状況って多いですよね。
相手は「私は○○が好きで〜、あと○○も〜」と楽しそうに喋ります。
しかし自分は「興味ねぇや」ってなりがちです。
そう、みんな相手の話を聞き流してるんです。
でもこれは決して悪いことではなくて、本来コミュニケーションというのはこういうものなんです。
100%理解し、共感し合うなんて例え肉親であったとしても不可能です。
だからみんな
理解してほしい!共感してほしい!と
自分の話をたくさん話すんです。
つまり「語り手」になりたいんです。
ところでみなさん、気付きましたか?
みんな語り手になりたがっていることに。
そう、聞き手不足なんです。
語り手は多いが、聞き手が少ない。
需要と供給のバランスが取れてないんです。
わかりやすく説明すると、
みんなそれぞれ悩みがある。でも相談相手がいない。
つまりはこういうことで、みんな喋りたいのに聞いてくれる人が少ないんです。
だから聞き手になることが重要なんです。
トーク力や笑いのセンスがなくても、人の話をしっかり聞いてあげるだけで
「ちゃんと話を聞いてくれるいい人」と認定されます。
そしたら自然とコミュニティが築けます。
『それはなぜか』
↓
聞き手スキルを磨く=相談役になる
相談役というのは、相手の話を最後までしっかり聞いて理解し、尚且つ的確なアドバイスをできる人のことです。
そう、先述した「なぜかモテる奴」の特徴と同じなんです。
※注意
…あくまでもアドバイスをするのは相談を持ちかけられたときだけにしましょう。
相手は自分の話をしたいんです。
「相談があるんだけど〜」
「〜についてどう思う?」
などと言われない限り、アドバイスはしない方がいいです。
「別にそんな意見求めてないけど」って言われて終わりです。
普通の会話を聞くだけなら
「そうなんだ」 「なるほど」 「へぇ」
というような軽い相槌を打ってあげるだけで十分です。
つまり、別に面白いことを言ったり、ムードメーカーにならなくても、人の話を聞くだけでコミュ障を脱却できるのです。
「いやいやそんなことないぞ」と言いたげなみなさん。わかりますよ。
いくら聞き上手になったとしても、会話は言葉のキャッチボール。こちらからもボールを投げなければなりません。
恐らくこの記事を読んでる多くの方は「どうやって会話を繋げるか」を知りたいのではないでしょうか。
それも教えてあげましょう。
『会話を繋げる方法』
↓
オウム返し
会話をするときに必要なのは「相手に話させる」ことです。
これができれば無限に会話を繋げることができます。
そこでオウム返しをしましょう。
具体的には、(相手の言葉+質問)です。
例)
相手「昨日東京いったんだ」
自分「東京に行ったんだ!何しに行ったの?」
相手「旅行だよ」
自分「旅行か!誰と行ったの?」
相手「家族だよ」
自分「家族か!仲良いんだね!東京のどこに行ったの?」
相手「○○と、△△と…」
こんな風に、相手が出したワードに簡単な質問を付けてオウム返しをするだけでいいんです。
質問の内容としては
・いつ
・どこで
・だれと
・なにを
・どうやって
この5つで大丈夫です。マジでなんとでもなります。
「質問ばっかしすぎ」と読者は思うかもしれませんが、逆に質問しない方がマズいです。
根拠としては、
①人間の心理として、質問を沢山された方が相手に好感を抱くこと。
②「質問を考える」という面倒な行為を自分がすることによって、相手は気持ちよく話すことに集中できること。
③相手が発したワードを繰り返すことによって、「自分の話をちゃんと聞いてくれてる」と相手に認識してもらえること。
以上の3つです。
このオウム返しさえやっていれば、会話なんてのは永遠続きます。
会話が長くなれば相手も質問してくるはずなので、その時に語り手になればいいのです。
この一見チート技にも思えるオウム返しですが、デメリットもあります。
それは、プライベートな質問です。
「○○さんって月収どれくらいなの?」
とか
「○○さんの好きな人は?どんなタイプ?」
など、質問することに夢中でついついプライベートに踏み込んだ質問をしてしまわないようにしましょう。
普通に失礼ですからね。
【まとめ】
・聞き手に徹する
→相手は喋りたいだけ。自分の意見や話なんて求めていない。
・相槌を打ってあげる
→語り手は相手の意見なんて求めてない。(自分の意見を言うのは、相談事や考えを聞いてきたら)
・会話は4W1Hのオウム返し
→いつ(when)、どこで(where)、だれが(who)、なにを(what)、どのように(how)
の4W1Hを相手が発したワードと一緒に質問する。
はい、以上です。
あくまでもNNさん独自のコミュ障の克服方法です。参考程度になれば幸いです。
大人になって思いますが、やはりコミュニケーションというのは難解です。
どれだけ語彙力を蓄えようが、文法を完璧にしようが、衝突するときはどう足掻いても衝突します。
自分の思いが完璧に伝わることなんて有り得ないと思います。
その人の価値観や倫理観によって言葉の重み、意味、想いなどは様々です。
近代では、言論の自由や表現の自由、思想の自由が謳われ、SNS等ネットを通して気軽に世界中に発信することができます。
確かに便利な良い環境になったと思いますが、同時に、辛辣で残酷な世界になったと思います。
言葉は薬物と同じです。正しく使えば良薬となり人を救います。ですが誤った使い方をすると劇薬となって人の命を奪います。
今の世の中は、世界中が繋がったことによって、至る所で言葉の乱用がされています。
ネットの匿名性の大きなデメリットにもなっています。
様々な言葉が目まぐるしく飛び交うようになり、言葉の重みが軽んじられるようになったのではないか。
匿名という影に身を潜め、モラルや倫理観が日々希薄になっているのではないか。
今日も名前も知らない誰かが、顔も知らない誰かと争いをしている。
果たして今の世の中は本当に平和なのか。
そんなことをつい考えてしまいます。
しかし筆者も、NNさんというハンドルネームを使いブログを執筆している。匿名の影に姑息に身を潜めている人間です。
誰かに見て欲しいが、素性は知られたくない。そんな矛盾を抱えた半端者が私であり、ネットであり、世論であり、時代なのだ。
ここまでお読みくださってありがとうございます。
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