【考察】○俗という哲学
新年明けましておめでとうございます。
どうもNNです。
みなさん今年(2020年)の抱負はありますでしょうか。
ちなみに私はありません。初詣の際に「とりあえず無病息災で」というゆる〜い祈願をしただけです。
あと新年を迎えてから最初にきた友達からのLINEの内容が「○俗いかね?」だったのは正直に戦慄を覚えました。今年も波乱の年になりそうです。
さて、本題に入りましょうか。
みなさん、風○というのはご存知ですよね。
しかしそれを哲学的に考えたことはありますか?
NNさんは気づいたんですよ。風○というのは哲学の場だったのだと…
アインシュタイン、ダーウィン、ルソーなど、誰もが一度は耳にしたことがある偉人たち。人類史における天才たちです。
しかし彼らにもどうにもできなかった問題があります。それは『時間』です。数多の不可能を可能にしてした英傑たちですら『時間』の前では等しく無力でした。
人に与えられた時間は平等。奪われる時間も平等。
1日過ごせば森羅万象のすべてが24時間という『時間』を奪われます。
『時間』を自由に操ることなど、それこそフィクションの世界線でしかできないのです。
しかし風○という聖域に限り、人は『時間』を意識的に操作することができる。
例えば「15分1万円」
風○街に赴くと必ず視界に入るこの文字。
15分○○円、30分○○円、etc…
これは15分という『時間』を1万円で購入し、自身に還元できるということ。
お店、あるいは従業員である嬢から『時間』を故意に奪い、お店or嬢は『時間』を奪われる代金として決して安くはない金額を消費者から受け取る。
明らかに『時間』を売買している。
加えてそれが普通(?)のビジネスとして成立している。
金が、性欲が、風○が、『時間』という概念を根底から覆している。
これを哲学といわずしてなんという。
「馬鹿だな」と僅かでも考えた読者がいるのなら言いたい。
本質を見極めろ、と。
今日の日本社会では、どんな環境で生まれ育ったにしろ基本的人権の尊重がなされている。すべての人間には人権があるということだ。
つまり、人をモノとしての売買は認められない。
「○俗は嬢がモノとして売られ店と客の間で売買が成立している」と勘違いしている人が大勢いるが、それは有り得ないことだ。
なぜなら人には人権があるから。
その理論でいくと嬢はつまるところ奴隷ではないか。
繰り返すが、今の日本は奴隷制度を否定している。つまり人間をモノとしてカウントできないのだ。
では○俗では一体全体なにをモノとしてビジネスをしているのか。
『時間』だ。
『時間』という概念そのものだ。
それが風○における本質なのだ。
私はこの事実に気付いたとき、身の毛がよだつ思いをした。
「え、マジでなにを真剣に考えてんねんアホか」
そう思わず口にだしてしまった…
この記事を見た読者の方も以後気をつけて欲しい。
大事なのは本質を見抜くこと、
そして間違えても友人等に話をしないことだ。
筆者のNNさんは友人に
「ねぇ、○俗って哲学やんな」と話をしたところ
見事にドン引かれた。
世の中には知らない方がいい事もあるのだ(違う)
はい、ということで『風○についての哲学的見解』でした。
NNさんは意外と哲学チックな考えが好きなので、これからもこんな記事書いていくと思います。
まぁ改めて、今年も何卒よろしくお願い致します。