【考察】成功者は無知である
『成功者は無知である』
これはあくまで個人的な仮説だが、成功者、あるいは人の上に立つものは無知であると考えられる。(以下、それについて解説
ソクラテスという人物をご存知だろうか。詳細までは知らないにしろ、名前は知っているという方が大半だろう。
端的に説明すると、古代ギリシアの哲学者だ。
彼が主張する哲学論、思想論には多くの欠陥や不完成な箇所があるらしいが、中には現代まで残されているものもある。
最も有名なのは『無知の知』だろう。
中学や高校で習う哲学論の鉄板だ。
具体的には『無知の知』という理論ではなく、ソクラテスの思考の基盤となっている概念のことだ。
この『無知の知』をこれまた端的に説明すると
知っていること、知らないことを理解する。その上で自身がどうあるべきかを考える。(不知の自覚)
ということだ。近年流行りのフィクション小説に出てくる人物風に言い換えると
俺が何も知らないことを俺は知っている。
ということになる。
つまり無知の知とは、(自分が)無知(であることを)知(ることが基本)という理念だ。
さて本題に戻るが、成功者はみな尋常ならざる努力を積み上げて地位を築いている。
しかし現実とは厳しく、努力を積むだけでは成功者になりえない。
成功者はみな、要領よく効率よく努力をしているのだ。
そこで意識するのが『無知の知』だ。『無知の知』の理念を活かして効率的に努力しているのだ。
具体的には
今の自分が“持っている知識”と”持っていない知識”をいち早く認識することで効率的に努力できるベースを作っているのだ。
受験に例えると分かりやすい。
志望校に必要な勉強をするときに「得意な科目」と「苦手な科目」を理解しているか否かで作業効率が大きく変動してくる。
例えば『受験には英語と数学が必要であり、英語は得意だが数学が苦手だ』ということを自覚していると、自然と英語の勉強時間を減らし、数学の勉強時間を増やすことができる。
こんな具合に、努力を自分のニーズに合わせて効率化できるのだ。
そして成功者はこの手法を心得ている。
『無知の知』を知識として理解している人もいれば、感覚として理解している人もいる。
しかしみな『無知の知』をしていることには変わりないのだ。
知らないことを知っているというのは武器だ。
しかしほとんどの人は知らないことにすら気付かない。
ソクラテスはこうも言っている。
「人間は神ではない。ただの生物にすぎない。
物事を完全に理解することなど到底できやしない。
もはや神にしか知りえないことだってある。
『神のみぞ知る』だ。
だがそこで諦めるのではなく、自分が知り得るであろう知識の限界を理解し、その限界の中で善を尽くすべきなのだ。」
まさに成功者の思考そのものだ。
彼らは自分が無知だと知っている。そして無知な自分がどう行動すれば最善かを知っている。
最初から全てを理解している者は存在しない。
誰もが無知から始まる。
つまり『成功者は無知である』といえる。
いや、
『人類はみな無知である』と言い換えるのが正しい。
ではなぜ『成功者は無知』というタイトルにしたのか
それは筆者が有名ではないからだ。
有名ではないのを知っているからだ。
つまり私のブログを読んでもらうには、タイトルで目を留めさせるしかないのだ。
そう、これが『無知の知』なのだ。
この記事を読んだ人の中に「成功者になる!」という野心を抱えた人がいるなら
ぜひ『無知の知』という概念を意識してみて欲しい。
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