NNさんの自由帳

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【考察】成功者は無知である

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『成功者は無知である』

 

 

これはあくまで個人的な仮説だが、成功者、あるいは人の上に立つものは無知であると考えられる。(以下、それについて解説

 

 

ソクラテスという人物をご存知だろうか。詳細までは知らないにしろ、名前は知っているという方が大半だろう。

 

 

端的に説明すると、古代ギリシアの哲学者だ。

 

 

彼が主張する哲学論、思想論には多くの欠陥や不完成な箇所があるらしいが、中には現代まで残されているものもある。

 

 

 

最も有名なのは『無知の知』だろう。

 

 

中学や高校で習う哲学論の鉄板だ。

 

 

具体的には『無知の知』という理論ではなく、ソクラテスの思考の基盤となっている概念のことだ。

 

 

 

 

この『無知の知』をこれまた端的に説明すると

 

知っていること、知らないことを理解する。その上で自身がどうあるべきかを考える。(不知の自覚)

 

 

 

ということだ。近年流行りのフィクション小説に出てくる人物風に言い換えると

 

 

俺が何も知らないことを俺は知っている。

 

 

ということになる。

 

 

つまり無知の知とは、(自分が)無知(であることを)知(ることが基本)という理念だ。

 

 

 

 

 

 

 

さて本題に戻るが、成功者はみな尋常ならざる努力を積み上げて地位を築いている。

 

しかし現実とは厳しく、努力を積むだけでは成功者になりえない。

 

成功者はみな、要領よく効率よく努力をしているのだ。

 

 

そこで意識するのが『無知の知』だ。『無知の知』の理念を活かして効率的に努力しているのだ。

 

 

 

具体的には

今の自分が“持っている知識”と”持っていない知識”をいち早く認識することで効率的に努力できるベースを作っているのだ。

 

 

 

 

 

受験に例えると分かりやすい。

志望校に必要な勉強をするときに「得意な科目」と「苦手な科目」を理解しているか否かで作業効率が大きく変動してくる。

 

 

例えば『受験には英語と数学が必要であり、英語は得意だが数学が苦手だ』ということを自覚していると、自然と英語の勉強時間を減らし、数学の勉強時間を増やすことができる。

 

 

 

こんな具合に、努力を自分のニーズに合わせて効率化できるのだ。

 

 

 

そして成功者はこの手法を心得ている。

 

 

 

無知の知』を知識として理解している人もいれば、感覚として理解している人もいる。

 

しかしみな『無知の知』をしていることには変わりないのだ。

 

 

 

知らないことを知っているというのは武器だ。

 

 

しかしほとんどの人は知らないことにすら気付かない。

 

 

 

 

ソクラテスはこうも言っている。

 

「人間は神ではない。ただの生物にすぎない。

 

物事を完全に理解することなど到底できやしない。

 

もはや神にしか知りえないことだってある。

 

『神のみぞ知る』だ。

 

 

だがそこで諦めるのではなく、自分が知り得るであろう知識の限界を理解し、その限界の中で善を尽くすべきなのだ。」

 

 

 

 

まさに成功者の思考そのものだ。

 

彼らは自分が無知だと知っている。そして無知な自分がどう行動すれば最善かを知っている。

 

 

 

最初から全てを理解している者は存在しない。

誰もが無知から始まる。

 

 

つまり『成功者は無知である』といえる。

 

いや、

 

『人類はみな無知である』と言い換えるのが正しい。

 

 

 

ではなぜ『成功者は無知』というタイトルにしたのか

 

それは筆者が有名ではないからだ。

有名ではないのを知っているからだ。

つまり私のブログを読んでもらうには、タイトルで目を留めさせるしかないのだ。

 

 

そう、これが『無知の知』なのだ。

 

 

この記事を読んだ人の中に「成功者になる!」という野心を抱えた人がいるなら

ぜひ『無知の知』という概念を意識してみて欲しい。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ここまで読んでくださった読者のみなさま、茶番に付き合って頂き誠に感謝いたします。

 

 

もし気に入ってくださったのなら「いいね」「高評価」をつけてくださると嬉しいです。

 

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ではまた

【解説】いじめはなぜダメなのか

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どうも、NNです。

 

今回は『いじめ』について書いていきます。

 

そして『いじめはなぜダメなのか』ということについても書いていきます。

 

 

 

 

はじめに

 

NNさんは自慢じゃないですが、いじめたこともありますし、いじめられたこともあります。

ですから、加害者・被害者の両方を経験をもとに個人的な意見として執筆しています。

 

 

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いじめがダメな理由

 

私的には3つの要素があると思います。

 

 

それは

・違法行為

 

・費用対効果が薄い

 

・レッテルを貼られる

 

この3つです。順を追って説明します。

 

 

 

 

 

違法行為

→そのままの意味です。いじめは法に抵触します。脅迫、暴行、強奪、人権侵害、誹謗中傷、傷害、etc…

 

内容にもよりますが、まず何かしらの法に触れるでしょう。

 

未成年なら少年法が適用されるかもしれませんが、前科はつきます。10代から生涯『犯罪者』という肩書きがつけられます。

 

 

 

 

 

 

 

・費用対効果が薄い

→要はリスクが大きいということです。

 

 

加害者のみんな!

いじめは楽しいですよね。自分より圧倒的な弱者を気が済むまで痛めつけるのは快感です。反撃があったとて、十分対応できます。押さえつけて終わり。さらにボコボコにする。ストレス解消できて最高ですね。

 

…でもリスクを考えたことありますか?

 

 

私のいうリスクとは、被害者から反撃され逆に暴行されることじゃありません。

 

 

それは先述したように『法に触れる』ということです。

 

 

他にもありますよ?『PTAから弾糾される』『退学、退職を余儀なくされる』『SNSで悪者として世界に拡散される』などなど。

 

 

どれもこれも一発で人生が終わります。

 

『法に触れる』→犯罪者、世間から否定される。

 

 

『PTAからの弾糾』→学校・他生徒・親御一同から否定される。

 

 

『退学、退職を余儀なくされる』→転校、転職しようにも「ここでもいじめを起こすのでは」と拒否される。社会進出、復帰が困難。

 

 

SNSでの拡散』→どこに行こうにも身バレする。住所、職場、学校、履歴が全てネットに晒される。もちろん家族や友人にも被害が及ぶ。世界からの否定。

 

 

…どうですか?これがリスクです。

 

 

 

デメリットだけ挙げても仕方ないので、今度はメリットを考えてみましょう。

 

 

 

『スッキリする』

 

 

 

これだけです。あれだけ大きなデメリットを抱えながらメリットはたったこれだけ。スッキリするだけ。

 

 

実はこのメリットも不確定要素を帯びています。

 

 

 

それは『罪悪感』の発生です。

 

 

人によりますが、少なくとも私はそうでした。

 

 

 

私は暴行など直接的なことはしていなかったのですが、それでも罪悪感は強く芽生えました。

 

もう少し具体的に説明すると

NNさんは、主犯格に乗っかって馬鹿にしていたんです。小心者です。

自ら進んでいじめを行ったわけではないのですが、確かにいじめはしていました。

 

 

主犯格ではないにしろ、罪悪感はとても大きいです。

 

 

「これはいじめではないのか」

「止めなくていいのか」

「このままでいいのか」

「これが原因○○が自ら命断つんじゃないのか」

 

などを考えてしまって眠れないこともありました。

 

 

いじめをしたところでスッキリするとも限らない。まさに百害あって一利なし。

 

 

 

 

 

 

 

 

・レッテルを貼られる

→これは先述した通りです。世間、家族、友人、学校、職場、世界…

様々なものから否定され『悪人』というレッテルを貼られます。これは消えません。

 

どれだけ世間や人様に貢献しても

 

「あいつ、いじめっ子らしいよ」

 

と言われ結局は否定されて終わりです。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

再度確認します。

 

 

 

…どうですか?

 

 

 

もう『いじめがダメ』とされる理由が分かったでしょう。

 

 

 

「かわいそうだから」とか「カッコわるいから」などの感情論ではありません。

 

 

 

 

理論的、倫理的、合理的観点から考察した結果が『いじめはダメ』なのです。

 

 

 

 

理解しましたか?

 

 

 

では理屈っぽくまとめましょう。

 

 

 

 

いじめはメリットがなく、リスクは膨大であり、その後の人生に甚大な被害をもたらす可能性が高い。

 

 

 

以上が『いじめがダメな理由』です。

 

 

 

 

 

 

この記事を拝見された読者のみなさんは、くれぐれも間違いを犯さないようにご注意願います。

 

 

じゃあね、

 

 

【考察】メンへラの心理学的見解

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まず初めに

 

メンヘラとはメンタルヘルスの略で、英語圏の-erが語尾につきメンヘラーと呼ばれた。それが後に略称され、メンヘラという俗称が誕生した。元は5ちゃんねるの『メンタルヘルススレ』が語源とされている。

 

人格像としては極度の「かまってちゃん」のような内面をしており、なおそれが末期なもの。

 

 

というのがメンヘラの定義です。異論は認めます。

 

 

 

今日ではヤンデレと混同されがちなメンヘラ。

 

 

そんなメンヘラを心理学に基づき分析していきます。

 

 

 

ヤンデレとの違い】

 

ヤンデレ

・特定の人物に対して依存

・なんでもしてあげたい、尽くしたい

・相手に愛されたい、愛し尽くしたい

・相手がすべて

・おね○ョタのお姉さんみたいな感じ

 

 

メンヘラ

・自己顕示欲の塊、誰でもいいからかまって欲しい

・なんでもして欲しい、尽くされたい

・尽くすけど相手のためじゃなく、尽くしている自分が好きなだけ

・相手に愛されている自分を愛している

・自己中くそビ○チ

 

 

とりあえず独断と偏見でヤンデレとメンヘラの違いをまとめてみました。

 

 

このまとめを見比べて気付いたこと、ありませんか?

 

 

どちらも自己中なのですが、気持ちのベクトルの方向が違います。

 

 

ヤンデレは相手、メンヘラは自分に対してベクトルが向いています。

 

 

そう、メンヘラは鬼も裸足で逃げしてしまうほどのかまってちゃんなのです。

 

 

すべては自分のため。

 

 

いやぁ怖いですねぇ〜

 

 

 

しかし共通点もあります。

 

 

 

それは

 

・目が○んでいる

 

・不幸

 

という2つです。

 

 

なぜ両方がこの特徴を持つか説明します。

 

 

 

ヤンデレ相手への強大な愛情からくる漠然とした不安。相手も自分と同じくらい愛してくれているのか、自分だけをみてくれているのか、そういった思考により一種の躁鬱状態に陥りやすくなるため目が○ぬ。不安をかき消そうとより一層相手に尽くすため、さらに不安を募らせてしまう。まさに報われない不幸もの。

 

 

 

 

メンヘラ…かまってちゃんなのでウザがられる。そして自ら躁鬱状態になる不幸で不遇で理不尽と不条理に踊らされている自分が好き。自○願望なんてないけど注目を浴びたいから「○にたい」とかツイートするし、リストカットの写真も投稿する。自分に対し「自分は頑張って報われようとする悲劇のヒロインなんだ」と洗脳をし、自己暗示によって生きているので目が○んでいるし、もちろん誰よりも不幸(自称)

 

 

 

もう違いは明確ですよね。

 

 

 

ヤンデレはただ不器用なだけ。

 

 

メンヘラは器用に不器用を演じている。

 

 

 

 

…腹立つでしょ?

 

 

今更ですがNNさんはメンヘラアンチなので

もう1回いいます。

 

 

 

メンヘラって腹立つでしょ?

 

 

 

 

人間はストレスや不安を極力避けたいと思う生き物です。

 

 

自分に否定的な意見を無視したり軽視したりするのは

 

 

無意識にストレスを避ける心理が働いているからなんです。

 

 

 

しかしメンヘラは違います。

 

 

 

メンヘラにとってストレスは快感です。

 

 

 

つまり、

 

 

ストレスを避ける=ストレスになる

 

 

という理解し難い方程式が組み上がるんです。

 

 

 

もうわけ分からんでしょ。

 

 

大抵の人は何かストレスがあったとき、そのストレスの原因を分析し解消しようとします。

 

 

 

ですがメンヘラはしません。

 

 

 

でも悩みます。他人に相談もします。

 

 

 

なぜならストレスを抱えている自分が好きだから。

 

 

 

そして相談相手に正論を言われたとしましょう。

 

 

 

「それは○○が原因になってるから〜〜するしかないよ。〜〜するには✕✕すればうまくいくから。」

 

 

 

でもメンヘラはこう言います。

 

 

「けど〜、時間ないし?てか私が〜〜すると○○ちゃんが困るからぁ」

 

 

 

そう、なにかにつけて言い訳をします。

 

 

 

 

自分にとって都合の悪い意見を無視する

 

 

心理学用語ではこれを正常性バイアスといいます。

 

 

 

メンヘラとは端的に説明すると

 

 

正常性バイアスが服を着てる』そんな生き物です。

 

 

 

心理学は人の意識や行動を分析する学問ですが、メンヘラは人ではありません。もはや物質です。

 

 

なのでなぜメンヘラが生まれるのか、存在するのかは分かりません。

 

 

 

 

強烈な自己顕示欲や自己認証欲、報われたいけど報われたくないという二面性

 

 

これらは恐らく過去の経験が生みだしたのではないかと思います。

 

 

 

生まれた環境や時代、文化や宗教が意識をつくります。

 

 

私が会ってきたメンヘラ達はみな、過去に辛い思いをしていました。

 

 

いじめ、DV、レイ○…

 

 

 

それらの歪な経験が強烈なコンプレックスとなり

 

 

俗に言うメンヘラと呼ばれる人格を形成する。

 

 

 

ある意味彼ら、彼女らは時代や環境という運命に狂わされた者たち。

 

 

不運の犠牲者たちなのかもしれない。

 

 

 

今まで散々言ってきたが、やはり幸せになってもらいたい。過去に辛い思いをしたなら尚更。

 

 

 

ま、自分の都合のために人に迷惑かけるメンヘラはやっぱり嫌いだけどね。

 

 

はっ!ク○喰らえ!!

 

 

 

 

 

ps:心理学の要素が皆無になってしまい大変申し訳ございません。同時に、お気を悪くされた読者様にお詫び申し上げます。NN一同、誠に反省しております。

【雑記】流れ星みたら3回願い事を…←は?

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「あっ!流れ星!!」


「そうだ、願い事3回となえないと…」




みなさん人生で一度は耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。このセリフ。




そして何事にも根拠を求める屁理屈な生意気小僧のお前、こう思っただろ?



「なんで?」って





『流れ星をみつけたら3回願い事を唱える』




この迷信といっても過言ではないジャパニーズカルチャー



この所作の意味、または由来を今回は紹介していきます。






『願いを真剣に叶えようと努めている人は流れ星が流れていく刹那でさえその事を考えている』



これが由来です。





3回というのは「あの一瞬でも3回は考え巡らせてるぞ」っていう感じです。




なので流れ星に願い事をしても無意味なのです。




そもそも宇宙の塵に願い事をして叶うわけがありません。他力本願もいいとこです。




神でも仏でもなく、ただ地球の大気圏内に触れたゴミに願い事を3回もぶつぶつ唱える。



滑稽すぎて片腹痛いです。




これは『願いというのは常日頃から努力していないとダメなんだよ』という先人の教えなのです。





みなさんも何か願い事あるいは夢があるなら、流れ星をみたときに



「あっ、流れ星!」



ではなく



「流れ星か。いや、そんなことより…」



ってドライな態度を流れ星に示してやりましょう。





そして願いが叶ったときに




ゆっくりと、存分に星の情景を堪能しましょう。





ちなみにNNさんは


「うわ流れ星やんクソ神秘的で草」


ってなるだけですけどね。

【考察】○俗という哲学

新年明けましておめでとうございます。

 

どうもNNです。

 

みなさん今年(2020年)の抱負はありますでしょうか。

 

ちなみに私はありません。初詣の際に「とりあえず無病息災で」というゆる〜い祈願をしただけです。

 

あと新年を迎えてから最初にきた友達からのLINEの内容が「○俗いかね?」だったのは正直に戦慄を覚えました。今年も波乱の年になりそうです。

 

 

さて、本題に入りましょうか。

 

 

みなさん、風○というのはご存知ですよね。

 

 

しかしそれを哲学的に考えたことはありますか?

 

NNさんは気づいたんですよ。風○というのは哲学の場だったのだと…

 

 

 

 

 

アインシュタインダーウィン、ルソーなど、誰もが一度は耳にしたことがある偉人たち。人類史における天才たちです。

 

しかし彼らにもどうにもできなかった問題があります。それは『時間』です。数多の不可能を可能にしてした英傑たちですら『時間』の前では等しく無力でした。

 

 

人に与えられた時間は平等。奪われる時間も平等。

 

 

1日過ごせば森羅万象のすべてが24時間という『時間』を奪われます。

 

 

『時間』を自由に操ることなど、それこそフィクションの世界線でしかできないのです。

 

 

 

しかし風○という聖域に限り、人は『時間』を意識的に操作することができる。

 

 

例えば「15分1万円」

 

 

風○街に赴くと必ず視界に入るこの文字。

 

15分○○円、30分○○円、etc…

 

 

 

これは15分という『時間』を1万円で購入し、自身に還元できるということ。

 

 

 

お店、あるいは従業員である嬢から『時間』を故意に奪い、お店or嬢は『時間』を奪われる代金として決して安くはない金額を消費者から受け取る。

 

 

 

明らかに『時間』を売買している。

 

 

加えてそれが普通(?)のビジネスとして成立している。

 

 

金が、性欲が、風○が、『時間』という概念を根底から覆している。

 

 

これを哲学といわずしてなんという。

 

 

 

「馬鹿だな」と僅かでも考えた読者がいるのなら言いたい。

 

 

本質を見極めろ、と。

 

 

今日の日本社会では、どんな環境で生まれ育ったにしろ基本的人権の尊重がなされている。すべての人間には人権があるということだ。

 

 

つまり、人をモノとしての売買は認められない。

 

 

「○俗は嬢がモノとして売られ店と客の間で売買が成立している」と勘違いしている人が大勢いるが、それは有り得ないことだ。

 

 

なぜなら人には人権があるから。

 

 

その理論でいくと嬢はつまるところ奴隷ではないか。

 

 

繰り返すが、今の日本は奴隷制度を否定している。つまり人間をモノとしてカウントできないのだ。

 

 

では○俗では一体全体なにをモノとしてビジネスをしているのか。

 

 

 

時間』だ。

 

 

時間』という概念そのものだ。

 

 

それが風○における本質なのだ。

 

 

 

私はこの事実に気付いたとき、身の毛がよだつ思いをした。

 

 

「え、マジでなにを真剣に考えてんねんアホか」

 

そう思わず口にだしてしまった…

 

 

この記事を見た読者の方も以後気をつけて欲しい。

 

 

大事なのは本質を見抜くこと、

 

 

そして間違えても友人等に話をしないことだ。

 

 

筆者のNNさんは友人に

 

 

「ねぇ、○俗って哲学やんな」と話をしたところ

 

 

見事にドン引かれた。

 

 

世の中には知らない方がいい事もあるのだ(違う)

 

 

 

 

 

 

はい、ということで『風○についての哲学的見解』でした。

 

NNさんは意外と哲学チックな考えが好きなので、これからもこんな記事書いていくと思います。

 

まぁ改めて、今年も何卒よろしくお願い致します。

 

【解説】ソー〇嬢との(夜の)プライベートおあそびのお話

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はいどうもNNです。

 

ブログを始めてはや3週目。既にネタ切れです。メタいって?知るか。

 

まぁ暇すぎて始めたのでネタもくそもないのですが、比較的好評だったソー〇嬢ネタを再び書いていこうかと思います。

 

それでは本題へGO!

 

 

以前の記事を読んでくださった人はご存知かと思いますが、NNさんはソー〇嬢(以外:嬢)と付き合った経験があります。もちろん突き合った経験もあります。

 

 

人生経験が豊富な読者の皆様も、嬢とおあそびをした経験があるんじゃないでしょうか。

 

 

でもそれはお店での話…じゃないですか?

 

 

 

普通なら嬢とお店以外でおあそびなんてできないですよね。

 

 

「あ〜彼女になってくれたら無料かぁ〜」

 

「プライベートでもさぞかし上手いんだろうなぁ」

 

「プロなだけあってめっちゃ丁寧にしてくれそうだなぁ」

 

 

 

なんて思ったりしませんでしたか?

 

 

 

そこで私NNさんが、経験不足な君たちのために嬢とのプライベートでのおあそび事情を教えてあげましょう。

 

 

ま、あくまで私の経験談なので御容赦ください。

 

 

 

 

【上手いが…】

 

そう、確かに上手いんです。上手いんですが、それは限定的な話なんです。

 

 

つまりどういうことか。

 

 

口だけが上手いんです

 

 

いいですか?口だけです。

 

 

「え?腰は!?」と思ったきみ。

 

 

 

少ねぇ脳ミソをフル稼働させて考えろ。

 

 

 

相手の嬢は毎日毎日、数多の男性の男性を肉体的に飽和してんだぞ?

 

 

 

ユルいんだよ。絶望的なくらいな。

 

 

 

 

(…あれ?これ挿入ってんのか?)

 

 

 

ってなるぞ。そんだけユルいんだ。

 

 

 

だから腰をどれだけテクニカルに動かされようがそもそも刺激がねぇんだよ。わかったか?

 

 

 

…ですが口は上手いです。口の筋肉は緩くなったりしません。むしろ舌や顎が鍛えられ、数をこなすごとにテクニックも身につく。

 

 

なので口は折り紙付きです。

 

 

 

 

【つまらない】

 

『嬢はプライベートならなおさら激しいプレイをする』というイメージがありますよね。

 

 

 

嘘です。

 

 

 

仕事として、プロとして精一杯サービスして店のクオリティなのですよ。

 

 

 

プライベートになると腑抜けたもんです。

 

 

 

だってサービスしなくていいんですからね。

 

 

 

具体的には、恐ろしいほど動きません。

 

 

 

『激』とは対偶を成すほどの『静』です。

 

 

 

(…あれ?等身大のぬいぐるみじゃね?)

 

 

 

 

と錯覚するほど動きません。

 

 

こっちから指示しなければずっと横たわったまま。もちろん口もありません。

 

 

 

NNさんは自分の意見を人に表現するのが苦手だったので酷かったですね。

 

 

(誘うのも好きじゃないので)相手から誘ってくるのですが、誘いに乗ったら相手は一貫してぬいぐるみ状態。

 

 

 

は?

 

 

 

ふざけんなよ。

 

 

 

 

仕事で動きまくってるから疲れてるのか知らねぇけど全く動かないってなんぞや?

 

 

 

 

ベースの正○位からほぼ変化することはありません。

 

 

 

ず〜〜〜〜〜っと正○位。

 

 

 

飽きますよね?

 

 

どうしても刺激が単調になるのでそもそもムスッコも鈍くなってきます。

 

 

うんともすんとも言わない彼女をどうにかして動かして体位を変えたとしましょう。

 

 

 

ユルい!ユルいんじゃあ!!!

 

 

 

 

もうどうしようもないんじゃあ!!!!

 

 

 

 

ほんとに萎えますよ?(半ギレ)

 

 

 

でもイかないと相手に失礼になる。

 

 

 

どうにかしてゴリ押しでイったとしましょう。

 

 

 

 

アフター〇ックスがあるんじゃあ!!!!

 

 

 

 

くそつまんねぇおあそびに付き合ったあげくアフターケアまで強要される…

 

 

 

新手の拷問か!?

 

 

 

…ちなみにNNさんは2回目からイけなくなり、3回目以降はお誘いを全部やんわり断ってました。

 

 

「お前ガバ〇ンすぎてイけねぇんだよマグ○がァ!!」

 

 

なんて言えないですもんね。さすがに可哀想です。

 

 

…と、NNさんの経験はこんな感じです。

 

リピートは絶対にしませんでしたね。

 

 

もし食べログみたいな感じで評価をつけれるのなら☆2ですね。

 

口だけは上手かったので。

 

 

ということで、今回はおしまいです。

 

 

NNさんのお話を聞いて、それでも嬢とおあそびしたいって方は頑張ってください。

 

もしかしたら能動的でゆるくない方もいらっしゃるかもしれませんから。

 

 

それでは(ฅ・ Σ ・ฅ)サイナラ〜

 

 

【解説】人間関係で復縁する方法【1選】

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どうも、人間関係で絶えず揉め事あるNNです。

 

人間とは感情がある唯一の生物ですが、その感情のせいで後悔することも多々ありますよね。

 

みなさんも一時の感情に振られて人間関係を台無しにしたことあるんじゃないですか?ありますよね?ありますね(決めつけ)(異論は認める)

 

 

今回はそんな人間関係で失敗を犯したあとに挽回する方法を紹介します。

 

 

 

 

【時間をおいてから普通に接しろ】

 

はい、結論これに尽きますね。

 

大切なのは

 

・時間をおくこと

 

・普通に接すること

 

の二つです。これらを意識すれば大抵の事は上手くいきます。

 

 

じゃあなぜそうするのか、順を追って説明します。

 

 

・時間をおく

 

まず人間関係で失敗したときに間髪入れずに行動するとろくなことになりません。相手が悪かろうが自分が悪かろうが、あるいは他の要因があったにしろ、冷静な判断はできません。

 

どれだけ冷静に振舞おうとしても、復縁を望む以上は多少なりとも心にダメージがあるということです。

 

そんな状態で下手に動くのは愚策も愚策。相手にとっても、関係が崩れたのにすぐに復縁に迫られても対応に困るだけです。

 

 

要は自分も相手も冷静になるまで時間をおきましょうということです。

 

時間を置くといっても、一日二日じゃありません。過去のこととして、思い出話として話せるくらいに時間を熟成させる必要があります。具体的には半年くらいあれば十分だと思います。

 

それだけ時間を開ければ忘れる部分も多くなり、「ぶっちゃけ何が原因で関係崩れたか思い出せねぇや!」なんてことにもなる可能性があります。

 

それに過去のことになればなるほど、もはや他人事のように話をすることが可能になります。つまり感情とは別に、ほぼ主観をまじえることなく客観的に話をすることができます。

 

関係が崩れてすぐに話し合いをしようとしても、お互いに心にトゲがある状態なのでうまくいきません。

ですが時間をおくことによってトゲが丸くなり、冷静にきちんと話し合いができるようになります。

 

男子三日合わざれば刮目して見よ。なんて言葉もあるように、時間をあけている間に相手の価値観が大きく変化してさらに話し合いがスムーズになることもあります。

 

なのでみなさんも時間をあけるようにしましょうね。

 

 

 

 

・普通に接する

 

言葉の通りです。時間をおいてから「久々に会おう」となって会ったとき、いきなり本題に入るのはナンセンスです。だって緊張しますからね。自分もそうですし、相手もそうです。

 

一度関係が崩れて会わなくなった人間と再会するときに緊張しないような人はそもそも人間関係で悩んだりしないでしょう。

 

緊張している状態でも話し合いなんかできません。心にトゲがある状態とさほど変わりませんから。

 

そこでお互いの緊張をほぐすためにも、初手は以前のように普通に接しましょう。最初はぎこちなくても大丈夫です。普通を意識していると自然とリラックスしてきます。

 

 

そして相手も自分も十分にリラックスできたところで復縁の話を持ち出しましょう。

 

 

そのときには冷静になっているはずなので、もし自分に非があったところは素直に謝ることもできるはずです。

 

相手の話をよく聞き、自分の思いも話す。

 

 

そして無理に復縁しようとしないこと。あくまで相手の意見を尊重してください。

 

一度崩れたものを復元するのは非常に困難です。人間関係なんて特に顕著なものです。

 

「自分はもと通りにしたいんだけど、どうかな?」というように提案という形で持ちかけましょう。

 

 

 

 

『え!?それで相手がNOと言ったらどうするの!?!?』

 

 

 

そう思いましたね。いい質問です。

 

 

答えは「諦めろ」です。

 

 

人と関係をもつということは、その人とのコミュニケーションをもつということ。

 

 

コミュニケーションは主に会話です。

 

 

会話とは言葉のキャッチボールです。

 

 

いいですか?キャッチボールですよ。投げ合いでは断じてありません。

 

 

相手の球をキャッチし、相手が自分のボールを取りやすいところにボールを投げてあげる。それの繰り返しです。それが会話、つまりはコミュニケーションです。

 

 

そしてそのコミュニケーションにおいて相手がボールをキャッチする意思がないということは、こちらがいくらボールを投げようとしても言葉が空を切るだけに終わります。

 

 

そのときは大人しく引きましょう。

 

 

めげずにチャレンジすることも大切ですが、時には諦めも肝心です。

 

世の中には覆らない不可能もあります。ですが、覆らせる努力はするべきです。

 

 

 

とまぁ、偉そうに書きましたが

私が紹介できる復縁方法なんてこれだけです。参考にならないと思いますが、モノ好きがいらっしゃれば試してください。

 

これを読んでくださった貴方の人間関係がうまくいきますように。